ライト・マイ・ファイア

light-my-fire

Helmut Zacharias: Light My Fire

村上RADIO 〜RUN&SONGS〜 で流れた音楽たち、
10曲目にして最後の曲はヘルムート・ツァハリアスの『Light My Fire』。

選曲は素晴らしく良いのだけど、
ヘルムート・ツァハリアスっていうのはねえというのはまあ好みの問題だ。

ヘルムート・ツァハリアス、
1969年のアルバム『Zacharias Plays The Hits』の中の1曲。

ここで流れなければ、
イントロを聴いただけで即止めただろうけど出てきちゃったんだから仕方がない。

ただ無理やりにでも聴いていると、
実はクセになったり…とはやはりならない。

ただ、
よくこの曲をこんなアレンジで吹き込んだよなと感心はする。

ハートにどころか、
火すらつくことがないような演奏だ。

Orignal by The Doors

この曲のオリジナルは、
もちろんザ・ドアーズ。

1967年、
デヴュー・アルバム『The Doors』の収録曲。

アルバムだと7分余りの曲だけど、
シングルでは間奏がバッサリと切られて3分弱になっている。

間奏がないこの曲は、
全く印象が変わってしまうからシングル盤は先ず聴くことはない。

それでこの曲はジム・モリソンではなくて、
ギタリストのロビー・クリーガーがメインで作詞・作曲を行っている。

それでもモリソンが唄えば、
それはもう彼が創造した曲になる。

The time to hesitate is through
No time to wallow in the mire
Try now we can only lose
And our love become a funeral pyre…

―The Doors- Light My Fire

ためらっている時間は終わりだ
ぐずぐずしている暇なんかないんだ
ダメで元々とにかくやろう
さもないと2人の愛は火葬場の薪になっちまう…

この曲はハッキリ言って、
カヴァー禁止だなんだと思う。

カヴァーしたところで、
良いものにはならないからだ。

まあ勝手な意見だけど、
ボクはそう思う。

あまりにもオリジナルが強烈過ぎて、
どんなカヴァーも何だか残念に思ってしまうのだから仕方がない。

おまけ

僕がはじめてドアーズの音楽を耳にしたのは十八歳の時で、
曲はもちろん「ライト・マイ・ファイア」だった。
それを最初に聴いた時に感じた奇妙な戦慄はまだ覚えているし、
今でもそれを聴くたびに同じような戦慄を感じつづけている。
「ライト・マイ・ファイア」はある意味では儀式的な曲である。
それはレコードの先端で我々を迎え入れ、
終末で我々を放り出す。
そこでは何かが始まり、
始まった何かは確実に終る。
そこには絶望感と楽天性が存在し、
まんなかがすっぽりと抜けている。
これはどちらかというと奇妙な感情だ。
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もしミック・ジャガーがこの曲を歌ったとしたら
――それももちろんヒットしただろうけれど――
「ライト・マイ・ファイア」は現在あるような奇妙な感銘を
我々に与えることはなかっただろう。

――村上春樹: 同時代としてのアメリカ 第6回 用意された犠牲者の伝説――ジム・モリソン/ザ・ドアーズ

これは、
文芸誌『海』1982年7月号に掲載されたこの曲についての文章だ。

僕が最初に聴いたジム・モリソンとドアーズのレコードは
もちろん”Light My Fire”だった。
一九六七年のことだ。
一九六七年には僕は十八で、
高校を出て大学にも予備校にも行かず、
一日中ラジオでロックンロールを聴いていた。
他の年と同じようにその年にも実に多くのヒットソングが生まれたが、
”Light My Fire”は僕にとってはいわば例外的に強烈な印象を残した曲だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その証拠に
ジム・モリソン以外のシンガーが歌う”Light My Fire”を聴いてみるがいい。
彼らの歌はうまくいけば誰かのハートに火をつけることができるかもしれない。
しかしジム・モリソン以外のいったい誰が、
肉体そのものに火をつけることができるだろう?
ミック・ジャガーにだってそんなことはできやしない。

――村上春樹: ジム・モリスンのソウル・キッチン

こちらは、
1983年に『エッジ』という雑誌の創刊号のために書いたもの。

どちらも似たような文章だけど、
この曲を聴くと思い出す。

そういえば比較されて落とされているミック・ジャガーのストーンズや、
ビートルズとの比較をしている箇所がある。

ビートルズやストーンズがコピーバンドの時期を通って
自らのアイデンティティーをつかみとっていったのに対して、
ドアーズの音楽はそもそもの最初に提示されていたのである。
奇妙な言い方だが「完成された不完全さ」とでもいったものだ。
その不完全さは大方がジム・モリソン個人の資質であったが、
ドアーズというバンドにおいては
メンバーのそれぞれがその不完全さを平等に分かちあうことに成功していた。
そしてそれはおそらく一九六〇年後半という時点でしかなしえなかった作業である。
ドアーズというバンドの意味はそこにあると僕は思う。

――村上春樹: 同時代としてのアメリカ 第6回 用意された犠牲者の伝説――ジム・モリソン/ザ・ドアーズ

世代が違うから、
リアル・タイムでこの曲を聴いてはいない。

同じ18歳で初めて聴いたとしても、
それは時代が違うから同じ感覚を得ることは難しい。

そもそもその時代だから生まれ、
その時代でしか感じられないものがあったはずだ。

それは博物館の展示品を眺めているのとはもちろん異なるはずだけど、
リアルに目の前にあったものとは少し違う。

その少しの違いは、
大きな河が横たわっているかのように手の届かない場所にあるのだ。

見えてはいても、
リアルに感じられることはこの先もずっとないのだろう。

Light My Fire 関連Playlist

それじゃあ最後に、
番組で流れた『Light My Fire』と関連曲プレイリストを最後に。

いつもとは違って、
今回は随分と短い。

よく一緒に挙げるカヴァー曲も、
番組で流れたもの以外にはない。

まあ、
必要ない。

3曲、
13分35秒。

01 Helmut Zacharias: Light My Fire
02 The Doors: Light My Fire(Single Ver.)
03 The Doors: Light My Fire(Album Ver.)

村上RADIO 〜RUN&SONGS〜 で流れた他の音楽たち

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