それからベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番。
「それからベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番。」
―村上春樹,風の歌を聴け
彼女は黙って、
今度は2枚のLPを持って戻ってきた。
「グレン・グールドとバックハウス、どちらがいいの?」
「グレン・グールド。」
彼女は1枚をカウンターに置き、
1枚をもとに戻した。
<カリフォルニア・ガールズ>の入ったビーチ・ボーイズのLPの後に、
『僕』が頼んだのはベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番。
ベートー『ヴェン』ではなくて、
ここではベートー『ベン』なのだね。
小指のない女の子は、
2枚のLPを持って戻ってくる。
グレン・グールドとバックハウスのLP、
即座に『僕』はグールドの方を選ぶ。
グレン・グールド
そのグールドのベートーヴェンのピアノ・コンチェルトの3番の吹き込みは、
何種類あるんだろう?
有名なのは、
カラヤンとバースタインとのものだろうけど他にもある。
録音順に並べるとこうなるけど、
他にもまだあるかもしれない。
1955年、
ハインツ・ウンガー指揮 / CBC交響楽団とのもの。
1957年、
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのもの。
1959年、
レナード・バーンスタイン指揮 / コロムビア交響楽団(実際はニューヨーク・フィル?)とのもの。
1962年、
ポール・パレー指揮 / デトロイト交響楽団とのもの。
ここで小指のない女の子が持ってきたレコードがどの組み合わせだったのか?
はすぐあとでわかる。
っていうか、
この物語の頃にリリースされていたのはこれしかなかったかもしれない。
僕はジェイを呼んでビールとフライド・ポテトを頼み、
―村上春樹,風の歌を聴け
レコードに包みを取り出し鼠に渡した。
「なんだい、
これは?」
「誕生日のプレゼントさ。」
「でも来月だぜ。」
「来月にはもう居ないからね。」
鼠は包みを手にしたまま考えこんだ。
「そうか、
寂しいね。
あんたが居なくなると。」
鼠はそう言って包みを開け、
レコードを取りだしてしばらくそれを眺めた。
「ベートーべン。
ピアノ協奏曲第3番、
グレン・グールド、
レナード・バーンスタイン。
ム……聴いたことないね。
あんたは?」
「ないよ。」
「とにかくありがとう。
はっきり言って、
とても嬉しいよ。」
村上春樹『更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち』評
村上春樹『更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち』では、
このグールドの演奏をこんな風に書いている。
グールド盤でまず驚かされるのは、
―村上春樹,更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち
オーケストラとピアノがほとんど喧嘩腰で演奏を始めるところだ。
どちらも「おれが主導権を取るんだ!」みたいな感じで。
そしてどちらも決して負けてはいない。
でもその争いはエゴスティックな動機から発したものではなく、
あくまでも音楽観の落差が必然的にもたらすものなのだ
(結果的にエゴも少しはあるかもしれないが)。
そのようなコンフリクトのスリルを面白いと思う人もいれば、
皮相的だと嫌う人もいるかもしれない。
僕はいつも、
違うルールに従ってゲームを進めているような
二人の素敵なすれ違いぶりに感心しつつ聴き入ってしまうのだが。
ヴィルヘルム・バックハウス
もう1枚の方、
選ばれなかったヴィルヘルム・バックハウスのものはどれだろう?
1950年、
カール・ベーム指揮 / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのもの。
1958年、
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのもの。
これくらいしか知らないけど、
いずれにしても『僕』が選んだのはバックハウスではなくグールドのものだ。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲
ベートーヴェンがオリジナルのピアノ協奏曲として完成した曲は、
第1番から第5番『皇帝』の5曲。
ただ、
他にもいくつかある。
1つは、
ピアノパートの草稿のみが現存している『ピアノ協奏曲 変ホ長調 WoO 4』。
もう1つは『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61』を編曲した、
6番と言われることもある『ピアノ協奏曲 ニ長調 作品61a』。
そして、
未完に終わっている『ピアノ協奏曲 ニ長調 Hess 15』がある。
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
この物語に出てくる、
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37。
1.2番の流れを引き継いではいるけど、
4.5番の内容に近い過渡期の作品。
これは、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲の中で唯一の短調の曲。
ハ短調といえば、
交響曲第5番 ハ短調 作品67と同じ。
曲は、
3つの楽章から成っている。
1796年に当楽曲のスケッチを開始、
1800年『交響曲第1番 ハ長調 作品21』と共に初演を目指したがまだ完成してなかった。
初演は、
その3年後の1803年4月5日アン・デア・ウィーン劇場。
独奏ピアノ・パートは殆ど空白のままだったが、
ベートーヴェン自ら即興で弾いて乗り切ったようだ。
この時は、
『交響曲第2番 ニ長調 作品36』と共に演奏されている。
翌年1804年にはきちんと完成、
弟子のフェルディナント・リースがピアノを弾いてある意味完全なる初演となった。
おまけ
この『ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37』を、
ベートーヴェン自ら即興で弾いて乗り切ったのは1803年のこと。
その前年1802年、
ベートーヴェンはあの『ハイリゲンシュタットの遺書』を弟のカールとヨハンに宛てて書いている。
そう考えると、
確かに難聴は進んでいたのかもしれないけど致命的なまでは進んでいなかったともいえる。
そしてベートーヴェンが肝硬変による病死を迎えるのは、
この手紙から25年も経ってからのことだ。
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37 関連 Playlist
最後は、
ベートーヴェン – ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37のプレイリスト。
全6(18)曲、
3時間29分。
グレン・グールド ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
01-3 ハインツ・ウンガー指揮 / CBC交響楽団
04-6 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
07-9 レナード・バーンスタイン指揮 / コロムビア交響楽団
10-12 ポール・パレー指揮 / デトロイト交響楽団
ヴィルヘルム・バックハウス ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
13-15 カール・ベーム指揮 / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
16-18 ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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